2012年 02月 28日
西陣を歩く
1467年から11年間 足利義政の後継問題で細川勝元と山名宗全が都の東西に陣を張って争いました、これが京都の町を焼き尽くした「応仁の乱」です。
その時東軍の細川軍に対して、山名宗全が都の西に陣地を張ったのでこの辺りを「西陣」と呼びました、その時の呼び名がそのまま地名になって現代まで続いています、江戸時代から織物の町として西陣織を作って来ましたが洋装化と共に急激に衰え織屋は僅かに残るだけです。
その西陣の今昔を探索するまち歩きでとても参考になりました。
西軍を率いた山名宗全の屋敷跡がスタートです。大正時代に建てられた中二階の長屋作りの家屋で今も生活しながら保存されている家屋を見学、地域の信仰を集める雨宝院・葵祭りの斉王ゆかりの七里社などなどを巡ってゴールは紫式部のお墓でした。
京都に住んでいながら西陣の事をあまり知りませんでしたが今もこの西陣に住みながら町の活性化を目指し活動されている方達が多い事を知って力強く感じました、この歩きで少しものしりになったような気分にさせていただきました、この西陣歩きは先にアップした西陣ドラゴンまつりの付帯行事として無料で開催されました、すごく値打ちがありました、ドラゴンまつりの主催者に感謝感謝です。機会があればまた歩きたいと考えています。